ベガルタ仙台って?

ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、Vegalta Sendai)は、日本の宮城県仙台市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
「ベガルタ仙台」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

ベガルタ仙台の概要・歴史

ホームタウンは宮城県仙台市。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(2006年に"仙台スタジアム"から改称)。練習場は泉サッカー場および泉パークタウンスポーツガーデン・サッカー場。チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕に因んで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ(Vega)」と「アルタイル(Altair)」を合わせた造語。マスコットは「ベガッ太」。ホームゲームでは、J2においてなお常に1万人以上が応援に掛け付け、J2中1位、Jリーグ全体中12位の集客力を誇る人気チーム。 前身は1988年に創設された東北電力サッカー部。 1994年、Jリーグ参入を目指すため、運営法人「株式会社 東北ハンドレッド」を設立し、東北電力サッカー部をクラブチーム化。クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改める。 1995年1月に開かれた地域リーグ決勝大会でFW平聡を中心に優勝(準優勝は福島FC)し、JFL昇格を果たす。 JFL昇格当初は特にヴェルディ川崎の選手を補強しチーム編成したものの、成績は振るわなかった。 また、当時のホームスタジアムだった宮城県サッカー場(利府町)、宮城野原公園総合運動場・陸上競技場(仙台市。2009年に「仙台市陸上競技場」に改称)にはナイター設備がなく、平日でもデーゲームで開催せざるを得なかった。そのため、ファン確保の面でも苦戦を強いられた。 1996年、Jリーグ準会員承認。 1997年、ナイター設備も完備された仙台スタジアム(現・ユアテックスタジアム仙台)が完成。同スタジアムを新しいホームスタジアムとする。 1998年、健康食品メーカー「ジャパンヘルスサミット」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結。同社の商品名「カニトップ」がユニフォームの胸部分に付くようになった。 1999年、Jリーグが2部制となり、J2(Jリーグ2部)入り。クラブ名をベガルタ仙台に改称(「ブランメル」(英:Brummell, 伊達男)という名称が他社の商標であったため)。チームカラーもこれまでの緑から「ベガルタゴールド」と呼ばれる黄色に変更される。 2001年、J2リーグ第2位となり、東北のクラブとして初のJ1昇格を決める。 2002年は年間総合13位でJ1残留を果たすも、翌2003年は同15位に終わり、わずか2年でJ2逆戻り(当時のJ1リーグは年間15・16位チームがJ2降格)。また、2003年シーズン終了を以ってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。 J2逆戻り1年目の2004年、家庭用品メーカー「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約。背中部分に同社が発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入るようになる。 リーグ戦の方は12チーム中6位に終わり、1年でのJ1復帰は果たせず。 2005年は終盤に猛烈な追い上げを見せるも、最終順位は4位。自動昇格はおろか、入れ替え戦出場も逃した。 2006年は序盤こそ好スタートを見せるも、中盤以降失速。最終順位は全13チーム中5位。またしてもJ1復帰はならず。また、シーズン終了後、廣済堂がスポンサーから撤退。ユニフォームから「Workin」のロゴがなくなった。 2007年、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、"空白"のまま開幕を迎えるが、8月に電子部品メーカー「NECトーキン」とスポンサー契約を締結(ちなみに、同社はサッカー部も保有し、東北社会人リーグ1部に属していた)。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。 リーグ戦の方は、第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)の好スタート。その後、10月までは3〜4位前後に踏み留まり、昇格争いに絡んだものの、11月に失速し最終順位は4位。 2008年、クラブを運営する「株式会社 東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社 ベガルタ仙台」に改称。 リーグ戦ではシーズンを通じて連敗が1度もなく、通算敗戦数は優勝したサンフレッチェ広島に次いで少ない8であった(広島は4敗)。しかし、引き分け数が16と2番目に多く(1番多かったのは横浜FCで17)、最終順位は3位。入れ替え戦に回ったものの、その入れ替え戦でジュビロ磐田に敗れ、J1復帰ならず。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退(ちなみに、同社サッカー部も本業の業績不振に伴い、同年11月を以って休部に追い込まれている)。 2009年、NECトーキンに替わる背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」と契約。さらに、昨年は契約が無かったパンツ部分のスポンサーに阿部蒲鉾店が契約した。 クラブは熱狂的なサポーターが多いことで知られ、観戦環境がいいユアテックスタジアム仙台を擁し、地元メディアの露出度や観客動員力など地域密着度の高さはJリーグトップクラスである。 それを物語る最近の一例として、「週刊TVガイド」2007年4月6日号(3月28日発売)の宮城版にて、観戦ガイドが綴じ込み付録としてつけられたことがある(同例は他に、アルビレックス新潟の観戦ガイドがつけられた新潟版のみ。またこれらの付録案内は全国各地の同号の目次に記載)。 なお、東北電力サッカー部と、クラブチーム・ブランメル仙台に移行した初期のアマチュア選手が中心となって「電力ノスタルジア」という同好会チームを結成している。
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